山田洋次の軌跡 by KIYO

<山田洋次の軌跡 第三部>連載第22回

第22話 「息子」
<第三部のはじめに>
 山田洋次が80年代に入り作品の質としても興行的な意味合いからも長期低迷に陥っていたことは、ここで私が指摘するまでもなく、作品をごらんになったみなさんならおわかりのことかと思う。
 しかしながら、90年代に入り「男はつらいよ」が「満男の恋愛」を主軸に語られるようになってから興行的に息を吹き返し、新しく若者の観客層を取り入れてシリーズの新しい活性化を図った。私は「男はつらいよ ぼくの伯父さん」を境にここに山田洋次の「第三期」が始まったと考えている。
 ハナ肇を主役とした喜劇を撮り続けた「第一期」を「山田洋次の青春」、「男はつらいよ」シリーズを作り続けながら社会性に富んだ作品を連発し続けた「第二期」を「山田洋次の成熟」とするならば、この「第三期」は「山田洋次の老成」と言っていいのではないだろうか。
 この「第三期」の大きな特徴は「次の世代への教育・伝えゆくもの」と考えている。それまでの山田作品の作品内の主観が「若者」に常に寄り添っていたのに対し、「息子」以後の作品は「老年もしくは中年から若者へ」向けた視点で語られている。
 「息子」「学校」シリーズは言うに及ばず、「男はつらいよ」も老境に入った寅さんの行動は、次の世代である満男の成長を助ける指導者としてのものとなるのだ。「山田洋次の軌跡」第三部はこの点に注目しながら各作品について観ていきたいと思っている。

<概要>
1991年になり、バブル景気が頭打ちになってきたとき、山田洋次は「家族」「故郷」の頃と変わらぬ、いや、それすらを抜く傑作を撮りあげた。時代の波が変わってきたのだ。山田洋次にはまだ語るべきことがある、その意志を十二分に発揮したのが、この「息子」である。

<ストーリー>
東京の居酒屋でアルバイトをする浅野哲夫(永瀬正敏)。夏のある日、田舎から電話が来た。母の一周忌のことである。

【その一 母の一周忌】
岩手の実家では兄弟親戚が集まっていた。母の死後、父親の昭男(三国連太郎)は一人暮らしをしていたが、長男忠司(田中隆三)、長女とし子(浅田美代子)とも、体の具合が悪い昭男のことが心配である。しかし、誰かが引き取る話をすると、昭男は機嫌を悪くし、耳を貸そうとしない。
次男である哲夫には、東京でのその日暮らしをしていることに小言をいう始末。
しかし、一周忌も終わり、めいめい帰った後、寂しいものを感じる昭男。

【その二 息子の恋】
哲夫はまた仕事を変えた。今度は資材問屋でのアルバイトである。若い哲夫を見た同僚は重労働に疲れて根を上げるだろうと思っていた。
取引先の倉庫に、美しい娘がいた。名前を川島征子(和久井映見)という。征子に一目惚れをした哲夫は仕事に精を出すようになり、臨時社員として働くようになる。
征子への思いは募るばかりだったが、どんなに声をかけても、返事をしてくれない。哲夫は征子への手紙を書き、征子の帰りを追いかけた。必死の思いで、手紙を渡す哲夫。しかし、それでも征子は一言も語ってはくれなかった。
翌日、いつものように征子のいる倉庫へ行くと、征子がいない。代わりに出てきたおばさんが語ってくれたことは、征子が聾唖者であるという事実であった。
周りの者たちは、征子のことをあきらめるよう言うが、哲夫はそれがどうした、と激しく憤るばかりだった。

【その三 父の上京】
年も明け、寒い冬の頃、昭男は戦友会に出席するため上京することになった。
もちろんそればかりではなく、長男からの同居の話も決着させなければならないからである。
上京して、迎えに来た忠司の妻怜子(原田美枝子)も、千葉のマンションに同居をすることを勧めるが、どうにも居心地の悪い思いをしてしまう昭男。孫たちもおじいちゃんに慣れていない様子。
仕事から帰ってきた忠司が同居の話を切り出すが、喧嘩になってしまい、話は決裂してしまった。
翌日、熱海へ戦友会に出かける昭男。かつての戦友たちも皆老人になってしまい、昭男と同じような境遇である。戦争で仲間を失い、戦後の復興に歯を食いしばってがんばってきた人間たちも、こうして昔話でもして慰めあうしかないのだった。
岩手に帰る前に、哲夫の家に寄ろうと思う昭男。
哲夫が家に戻ると、昭男が待っていた。顔を見るなり説教を始める昭男にうんざりする哲夫。そこへ一枚のファックスが届く。征子からのものだった。
哲夫は昭男に、訪ねてきた征子を紹介し、いずれ結婚することを語る。たとえ征子が聾唖者であったとしても、納得させるつもりだった。
昭男は征子に、哲夫と結婚してくれることに感謝を述べるのだった。
その晩、なかなか寝付けない昭男は、結婚した後のことや孫の面倒の心配までし出す始末、挙げ句の果てに「お富さん」を歌い出してしまった。
翌日、岩手への新幹線の車上、哲夫と征子のことに思いを馳せる昭男。
戻ってきた昭男は近所の人に「幸せだ」とつぶやく。
誰もいない家に戻ってきた昭男。振り返るとそこには、かつての家族がいた。まだ生きている妻、幼い子供たち、両親。しかし、それはつかの間の幻だった。
昭男しかいない家に、明かりがともる。外はまだ雪が降っている。


<解説のような感想>
山田洋次は70年代の頭に「家族」を撮った。これは、70年代である一家族の目を通して日本社会の状況を見据えた傑作だった。
「息子」はそれから20年後の、90年代における「家族」である。
しかも、私は「家族」に劣らぬ、いやそれを抜いて山田洋次全作品の中でも最高傑作に押してもいい作品だと思っている。
前作「ダウンタウンヒーローズ」のあたりでは、山田洋次の作品と社会とのズレを意識せずにはいられなかった。時代はもはや山田洋次のような作品は「アナクロニズム」の一言で片づけられようとしていた。
ではなぜ「息子」は傑作足り得たか?
この作品が公開されたのは1991年。そう、まさにバブルが崩壊する寸前の頃だったのだ。日本中が土地投機にあさり、信じられないような金額の消費が良しとされていた。しかし、それに疲れと疲労を意識しだした時でもある。
そこで全くミニマムな存在である「家族」の問題を描くことは、時代の必然でもあったのだ。
都会と地方の格差。高齢者問題。障害者の社会的地位。ここにあるのはまだ「これからの」問題でもあり、永遠の課題なのだ。
そして決して声高に主張しなかったことが作品に気品をもたらした。
息子たちと同居も叶わず、障害者との結婚も手放しに喜ばれないし、老い先短い人生に不安がないわけではない。
でも、この作品に登場する一家は、皆それぞれのやり方で道を探し、しかもそれが正しいとは限らない。
長男夫婦はようやく買ったマンションのローンで大変だろう(今やこの不況でどうなっていることか)、次男の結婚も決して楽ではないだろう(小さな町工場で障害者の妻を持つことがどれだけ大変か)、田舎で一人暮らしをする老人がいつまで大丈夫か。
にもかかわらず、すべての状況を受け入れ、主人公である老人は「幸せだ」と最後につぶやく。
公開当時これを肯定的に取るか否定的な意味で取るか議論になったが、私は肯定的に受け取りたい。
90年代に必要なことは、狂乱的に騒ぐことでもなく、否定し自暴自棄になることでもなく、己の足下を見つめ直し、まずはその状況を「受け入れる」ことにあると思うのだ。すべてはそこから始まるのだ。

そして、そこから山田洋次は「はじめの一歩」でありライフワークとなる作品についに手を着け始める。
それが「学校」である。


次回「学校」に続く。


99/08/09(月) 01:08 KIYO(YRG02560)


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